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鳥の声で目を覚ました。 枕代わりにしていた、二重に折りたたんだ座布団から身を起こし、眠っている間に乱れた衣服を整える。無理な体勢で寝ていたためか、体の節々が痛んだがそれもまたいつものこと。 寝ぼけ眼を擦りながら、未だに惰眠を貪ろうとする頭を無理矢理覚醒させる。このままこの部屋に居たら、あの枕の誘惑に勝つことは難しいだろう。 『……外に、行ってみようかな』 何気なく、開け放たれた障子張りの襖に目を向ける。二色の絵の具に彩られた境内。紅と蒼、それらが絡み合い、引き立てあい、見慣れた空間が幻想に変わる瞬間。 『……そういえば、私こんな布団掛けてた覚えないんだけど』 境内に出てきた自分を迎え入れるものは、とおく、遠くに響く雷雲の咆哮。 遠くから迫る咆哮に尻込みしたのか、先ほどまで聞こえていた鳥の声はいつの間にか疎らになっている。そろそろ明かりを点けなければ、歩くことさえままならなくなりそうだったが、あえて明かりは点けなかった。 鳥の声に感謝する。大切な洗濯物が、きまぐれな雷雨の餌食にならずにすんだから。 黒よりも黒い暗闇を、ほんの一瞬だけ照らす圧倒的なまでの光の帯。 ――それはあたかも……―― 何故自分は……。 ―― のような……―― その情景に魅入ってしまうのか解らなかったけれど……。 今気にするべきことは、この生乾きの洗濯物を何処に干しなおすかということと……。自分が寝ている間に布団を掛けたのは、一体誰なのかと言うことだけ。 頬を濡らし始める雨の中で、いそいそと洗濯物を取り込む博麗の巫女。 ◆ ◆ ◆ ―― いつか見た日々の夢を見る―― 遠い、とおい空にある確かなカタチ。 覚えている。 ――想うことを止めた日はいつだっただろう―― |
今日の幻想郷は雨。昨日まで続いていた暑さは何処吹く風か、一休みだと言わんばかりに静まり返っている。来る日も来る日も飽くことなく鳴いていた蝉の声も、今日は心なしか少ない。 『雨だぜ…』 雨は憂鬱になるから嫌いだ、と、ある妖怪は言った。 もし、その瞬間から変わったものがあるとしたら、それはこの世界の季節と自分の感情だけだろう。今の私が、その日その場所に居たのなら間違いなくこう答える。 ―― 今年の雨は、世界を変えるぜ ――
雨が嫌いだと言ったあいつは、今頃部屋で憂鬱な朝食をとっているかもしれないが、そんなことは知ったことではない。今の私の気持ちに比べれば、それは極々些細な変化。『大事の前の小々事』という言葉は言いえて妙だったが、それ以外に形容する言葉を思いつかなかった。 『例えるなら、数年来の恋人とようやく再開できたような気分だぜ』 ……もちろん、実際に経験したことはないが。 とにもかくにも、さっそく外に出るための準備を始める。徹夜で作業していたためか薄汚れていた衣服を着替え、乱雑に詰まれた本の上に置かれたお気に入りの帽子を手に取る。 『……ま、気になるほどでもないな』 先日、神社に行った帰りに運悪く雷雨に見舞われ、ずぶ濡れになって帰ってきた事を思い出す。行きは快晴だったので、何の心配もせずに出掛けたのだが………それがそもそもの間違いだった。 『……まぁ、あいつは別に起こしても構わなかったのかもしれないけどな……』 あまりにも無防備に……そして、あまりにもあどけない顔で眠る姿に、声を掛けることができなかったのだ。 ……正直、普段の様相とのギャップに内心焦っていただけとも言うかもしれないが、考えてみれば結構長い付き合いになるだろう、あいつとの付き合いの中でもあの『ギャップ』だけはどうしても慣れることが出来ないことのひとつだった。 『……神に仕えるってのも、色々と大変なんだろうな』 考えても詮無きことを思案しつつも、身体は今日の実験の準備を続けている。数日前には完成していた出来立ての符と、魔力が無くなった時のために用意した特製の魔法薬。 一通り準備が出来たところで、薄暗い部屋を照らしていたランプに人差し指を向ける。すると、部屋を照らす灯りは、窓から入ってくる頼りない曙光だけになった。 「いざ行かん我薄明の大地へ!!」 玄関の扉を文字通り『蹴り開けて』、翻るスカートも気にせずいつものように箒に魔力を込める。自分の身体が、この地面に縛りつけようとする重力から解放されてゆくのを感じる。 この瞬間が一番好きだった。 自分が『この空を初めて飛んだ日』。 『………』 …何故、今になってそんなことを思い出してしまったのだろう。 そもそも、それは霊夢と出会う前の話である。 箒に伝わる魔力はすでに十分な量を超えている。 そう、今日はこの『新魔法』を試す日だ。 余計なことを考えている暇は無い、この魔法が成功した暁には真っ先に『紅魔館』に行って歴史的瞬間をあいつらに知らせる約束もしてある。 自分の周りを等間隔で周回している四つの守護水晶に念を送る。 ――圧倒的な力を持って浮かぶ四つの輝きは、見るものにどんな感傷を抱かせるのだろうか―― ――いわく、星の海を切裂く一筋の流星のような―― ――輝き、光、闇夜を照らし、その灯火を統べる者―― その光が最高潮に達し、幾何学的模様を描き始めたその時、一枚のスペルカードを取り出して私は全魔力を解放した。 『 天符・時雨結界 』 蒼と白の光の奔流。 「……成功……したのか…?」 幾何学模様を描いていた守護水晶は、淡い輝きを保ったまま自分の周りを球を描くように回転している。その球面が虚実の境界だと言わんばかりに、空から落ちてくる雫はその球面から先に入ってこようとはしなかった。 霧雨魔理沙。 「……うん」 親友の得意分野であり、数ヶ月前までは素人であった自分が今成功させた『結界魔法』。彼女が喜んでいる要因は二つある。 その一つは、この数ヶ月の努力はけして無駄ではなかった証をついに手に入れたこと。 「上出来、だぜ」 この成功が、彼女にとって『誰かのためになる』初めての大成であったということ……。 |
雨が降り続く幻想の空。 「魔理沙、本当にこれ大丈夫なの?」 幻想郷に現れた一筋の流星。風を切り、降り続く雨さえも切り、水滴一つ入れずに疾走するその空間は人の力が作りし境界。 「ああ、もう全然心配ないぜ、大船に乗った気分でいてくれて間違いない」 溜息のように呟くその声は、呆れと困惑と不安と、そして少しの楽しさが籠められたような複雑な声色。二人乗りの箒と、周回する水晶に気を取られている魔理沙を横目に、未だに雨が降り続く空を見上げる。 『彼女』にとって、『雨の日に外に出掛ける』ということは本来ありえないことのはずだった。 ◆ ◆ ◆ 「レミリア、ちょっといいか?」 雨が降り続く日の紅魔館。 「あら珍しいわね、こんな所に来るなんて……図書館にパチェは居なかったのかしら?」 納得とでも言うように軽く頷くと、レミリアは目の前のテーブルに置かれた『紅茶』に口を付ける。部屋の入り口に居たと思った黒い魔法使いは、いつの間にか彼女の向かい側の席に腰を下ろしていた。 「しかし、あれだな、今日のメイド達はいつもにも増して忙しなく動いてないか?」 特になにも言わず、魔理沙はその言葉を最後に腕を組みながら考え込むような仕草をしている。その間、この部屋には僅かな沈黙が訪れた……。 外から聞こえてくるものは、世話しなくメイド達に指示を送る『誰か』の声と、遠くに響く『爆発音』と『悲鳴』。心なしかこの館を包む雨音が強くなっていた。 魔理沙がレミリアの部屋を訪れる回数は、控えめに見ても多くはない。 『魔理沙が、最後にこの部屋を訪れたのはいつだったかしら……』 レミリアは今、この魔法使いが何故自分の部屋を訪れているのか、その真意を掴めずにいた。 「それで、暇を持て余した魔法使いさんは、暇を持て余す私のところへ来て一体何をしてくれるのかしら?」 理解に苦しむとでも言いたげなレミリアを尻目に、 「悪いな、咲夜に聞かれたら色々と困るからさ…」 閉じた世界の中で空を見上げていた。 「レミリア……」 500年もの永きの間、終わることなく続いてきた少女の『運命』は…… 『 今から、一緒に神社へ行こう 』 今、一人の人間の手によって塗り替えられた。 ◆ ◆ ◆
レミリアは降り続く雨と、今自分が居る世界の境界を一瞥しながら、静かな感嘆の言葉を口にする。 「よくもまあ、こんなスペルを思いついたものね」 前から後へ、過ぎゆく季節のように流れてゆく景色は、紅い悪魔である彼女にはけして見ることが出来なかったもの。 「…それは褒め言葉なのか?」 今、自分が居る世界が何を意味しているのか…。 ――雨は、一部の悪魔には歩くことすらかなわないもの―― この雨の中を疾走する空間が何を意味しているのか、レミリアは気付いていた。運命を操り、見るもの全てに畏怖の念を抱かせる彼女にとって、それは感嘆の声を上げさせるに十分な所業だった。 「ところで、雨の日の霊夢って、いったい何をしているのかしら?」 魔理沙は、先日運悪く雷雨に見舞われたときの話をレミリアに語り始めた。 「結構待ってたんだけどな、結局あいつ起きないし」 霊夢が普段どんなことをしているのか、あいつが毎日どれだけ寝てばっかりののんびりした生活を過ごしているのかを語り続ける。レミリアはその話を、なにも言わずに黙って聞いていた。 「………」 突然の沈黙に不安を覚え、魔理沙は箒を操ることすら忘れて振り返る。 「ん? ……ああ、別になんでもないわ………」 その言葉の真意を、魔理沙は理解することができなかった。レミリアは彼方を見つめながら、とおく『神の無い神社』に暮らす『人間』のことを想った。 『……運命…か』 言葉で言うほど簡単なことではなかったはずだ。 ――運命を操り、『その運命に縛られていることを理解している』存在―― この関係はなんて滑稽なんだろう。私は運命を操ることが出来ても、その運命を『塗り替える』ことなんて出来はしない。 『……最初は私に似てるって……思ってただけなんだけどな』 例え私にとって刹那的な出会いであったとしても、貴方は『私と同じ運命を辿る』唯一の人間だった。 強くて弱くて、冷たくて暖かくて……。 ………私にはできない。 「魔理沙」 迫り来る風雨を操り、人の身でありながら『空に近づくことが出来る者』。 「ん? どした?」 ハテナ顔で箒を操る魔理沙の横顔を、レミリアは穏やかな気持ちで眺めていた。 『……かなわないかもね』 この世界に神というものが存在するのなら、私はその神を恨むかもしれない。 ◆ ◆ ◆ 永遠に紅い幼き月が願うもの。 ――願わくば、少女の夢がいつの日か 解放される時が訪れますように……―― |
その場所は優しい音に包まれていた。 「ねえ霊夢っ、今から外に出掛けましょうよ」 すでに二人がこの博麗神社を訪れてから、数刻の時が流れていた。 やれ、最近咲夜が神社に来ることに反対するようになっただの。 「そういえば魔理沙、なんでこんなスペルを開発しようなんて思ったのよ?」 霊夢はちゃぶ台の向かい側に座る魔理沙を見ながら、当然のように質問をぶつける。 「…なんでって………便利だろ? あったら」 魔理沙の真意は解らないが……多分自分の為でもあり、その先に居る霊夢の為でもあるんだろう。そんなことを、レミリアはなんともなしに考えていた。 「…こうして過ごしていると、雨の日も悪くないって思えてくるわね」 ちゃぶ台の傍に座っている二人の下を離れ、一人開け放たれた襖に手を掛けながら外を眺めている。 「私の魔法も、少しは役に立ったみたいだな」 穏やかな雨の日の午後。何が起こるわけでもなく、ただ、その一日は少女達の『夢』を次の日へと運んでくれるだけの毎日。 『……いくらなんでも、そろそろ気付いたみたいね』 遠く、神速の速さで近づいてくる従者の気配をレミリアは感じ取っていた。 外を眺めていた目を、部屋の中へと戻す。 ――気付いたら、この場所に立っていた―― 少女は気付いているのだろうか。 ――気付いたら、私の手の中にあったものは何一つ残されていなかった―― 少女は気付いているのだろうか。 ――望まない力を手に入れて……―― 気付いて欲しい。 ――望まない運命に身を任せて……―― そして、忘れないで欲しい。 ――それでも尚、私は私らしく前を向いて歩いてきたつもりだった―― |
「静かだな……」 その場所は穏やかな空気に包まれていた。 「それにしても…さすがにあれは焦ったなあ」 さもおかしかったとでもいうように、霊夢は無邪気な顔をのぞかせている。 「ああいう時は助けてくれるのが友達だろ? 助け合いの心ってやつを学校で習わなかったのか?」 霊夢は口に含んでいたお茶が吹きでるのを、真っ赤な顔をして必死に押さえている。普段冷静なやつほどこう言うときの反応が面白い。 「くっくっく……あ〜あ、霊夢、乙女がそんなことしてたら嫁の貰い手がなくなるぜ」 心地良い空気に包まれていた。いくらでも冗談が通じる相手がいる……こんなに幸せなことはないだろう。……私はこの雰囲気が好きだった。 なにやら眠そうに欠伸をかみ殺している霊夢を見ながら、先ほどあった出来事を思い出してみる。 正直、咲夜が憤怒の形相でこの神社に突っ込んできた時は、さすがの私も焦った。 まぁ、私が悪かったってことは解ってるんだが……。 あの時レミリアが間に入って止めてくれなかったら、正直どうなってたことか……。 「………」 しかし、何故、レミリアは頻繁にこの神社に訪れようとするのだろうか。 『って、私も人のこと言えないか』 考えても詮無きことに目を向けるより、今は目の前に迫った空腹を何とかするべきだろう。
想いを捨てた日……夢の中にいつか還れる場所があると信じていた。
「……結構良い出来………じゃないのか…?」
二人が見つめる先にあるもの。その場所には、他でもない『二人』が共に作った、この世界でたった一つのものがそこにある。 「よし! どっちが先に食べるか、私達らしく『アレ』で勝負して決めようぜ」 ――過ぎてゆく季節の中で残るものがあるとしたならば。
遠い、とおい空にある確かなカタチ。 覚えている。 ――想うことを止めた日はいつだっただろう――
声が聞こえた。 ぬくもりを感じる。この世界に来てから一度も感じることが出来なかった感覚が、自分を満たしていくのが解る。 なにもなかった。 永遠に続く刻の牢獄の中、四方を空虚で囲まれた自分はどれほど無為な存在だったか。永遠に続く自由の名の下、自分だけがその『自由』という言葉に縛られていた。 ――夢の終わり―― 何も無い、何も無い、何も無い、今の暮らしが? 此処にはぬくもりがあった、此処には人の暮らしがあった。此処には妖怪が在った、此処には亡霊があった、此処には悪魔が在った。 もう無為な日々を過ごすことは無い、もう遥かな郷愁に想いを馳せることもない。元より、此処には私の居場所があったのだ。
「…ったく、夏だからってそんな格好じゃ風邪ひくだろ」 未だに私が起きていることに気付かないのか、 誰かの為を想い、誰かの為に行動し、誰かの為に夢を見て、誰かの為に今日を生きる。今までそんなことは考えたことも無かった、元より考える相手がいなかった。 ずっと独りだった自分。 過ぎて行く、何も無く過ぎて行く。誰か他人が訪れたとしても、その他人にとってこの場所は単なる通過点にすぎなかった。 過ぎて行く、何も無く過ぎて行く、刻の流れも人の流れも絶え間なく過ぎて行く。そんな流れの中、たった一人だけこの場所に留まってくれた『ひと』がいた。 解らなかった。何故彼女がこの場所に留まっているのか自分には理解できなかった。何度も何度もこの場所を訪れて、何度も何度も私にちょっかいを出して帰ってゆく。 だけど……。 空虚な日々なんてない、何も無い毎日なんて此処にはもう存在しない。 中心には誰がいる? 「………」 布団を掛け終えたあいつは、眠ったふりをする私の側に座り込んで自前の本を読んでいるようだった。眠気が移ったのか、目を擦りながらあくびをかみ殺している。 「魔理沙」 その日、その時間、その場所で何かを失ったとしても。 今、此処に在るもの。 何かを失い、何かに囚われ、それでも前を向いて歩くしかなかった日々。 いつか、帰れる日が来ることを夢想していた。それが幻想だと気づいた時、目の前に残ったものは、望まないこの力と自由と言う名の牢獄だけだった。 今、目の前にあるものは? 「…ん」 私の声に気付いたのか、本を読んでいたあいつの顔がこっちに向けられる。その瞳に、今の私はどんな風に映っているのだろうか。 大切なものは此処にある。 私は此処にいる。 貴方は何処にいる。 人の身でありながら人であることを禁じられ、人外であることを求められながら『ひと』であることをやめることが出来なかった。あの日、あの時間、あの場所で貴方に会うことが出来なかったら、私は空虚な牢獄の中で独りきり。 「…魔理沙」 もし、言葉というものに想いを伝える力があるのならどうか届けて欲しい。 「 ありがとう 」 幻想郷に陽が落ちる。 ◆ ◆ ◆ 風に乗り、ふわふわとたゆたう、何処までも遠くへ。 |
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